あの世があってほしい!
2022/08/13
あの世があってほしい!
こころ誌第133号(令和4年7月4日発行) 院長の記事より
毎年夏が来てお盆の時期を迎えると、亡くなられた方々に思いを馳せ、子供の頃から、「あの世からご先祖さんたちがこの世に帰って来られるんだよ・・・」と言い聞かされてきた方々も多いのではないでしょうか。
私は小学校低学年から、“あの世”の存在や“死”について深く考え込んでしまう子供でした。 そのきっかけは祖母の死でした。 私が小学1年生のときでした。祖母が重篤な病気で病院に入院していましたが、ある日小康状態だったのでしょう、家に外泊しに帰ってきたことがありました。 その時も布団で寝ているだけで過ごし、すぐにまた病院に戻ったように思います。 その数日後、外で遊んでいると、母親らが祖母の病室にあった荷物をたくさん持って帰ってきて、「おばあちゃんが死んじゃった!」と号泣しながら家に入っていきました。 その時の光景やその後の葬儀の場面が、今でも鮮明に脳裏に残っています。 その場にいた人の姿がこの世から突然無くなってしまう…という衝撃をずっと引きずって小学校時代を過ごしたように思います。
私は「死」という漢字を見るのが怖くなりました。 「死」という漢字自体が怖いのです。 実は医者となっている現在も怖いのです。 新聞などに「死」という文字を見ると、見た字数以上の「生」という字をしっかり探してじっと見つめる…というまじない(?)を子供の時から続けているのです。 そんなふうですので、“死”を怖れる不安は人並み以上だと思っています。
人は必ず死にます。 「死んだらどうなるのか」、それこそ死ななければ分かりません。 日本人のうち、死後の世界の存在を信じない人は3割くらいとのことですが、宗教によっても違います。 私自身何かの宗教の信者ではありませんが、親類縁者の影響で、仏教的な見方をすることが多いように思います。
先日、副院長と(仲良く?)いっしょに、中之島香雪美術館で開催された「来迎」展に行きました。 阿弥陀様を信じてお念仏をする人は、まさにこの世での命が終わろうとする時にその人の目の前に阿弥陀如来が聖衆を率いて直々に極楽浄土よりお迎えに来られるという信仰を絵画化したものが「来迎図」で、その数々が展示されました。 私達の親や様々な故人を思い浮かべながら、「亡くなる間際にこのような光景を見て恍惚感に浸りながら昇天されたのだろうか…」と、思わず涙してしまいました。
私は「(どういうものか全く分からないけれど)“あの世”がある」と信じています。 そう信じて、死への不安を小さくしています。 そして“転生”というものもきっとあるとも信じています。 亡くなった後の命(霊魂?)があの世に行きっぱなしだと、あの世はあふれかえってしまう、だからまた輪廻転生しなければあの世は維持できないなどと、勝手に思っています。 阿弥陀如来に迎えに来ていただいて、あの世に無事に届けていただけるよう、生きているうちはしっかりと徳を積むように努めていかねばならないなあ・・・と繰り返し思うのです。
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